一緒に学ぼう
家庭教師として一緒に勉強しよう
毎月のルーティンワーク
今日は朝から手帳の添削。
毎月1回、先生たちから手帳を提出してもらっています。
その手帳の添削。アカマルを入れ、コメントを入れます。
先生たちが本気なので、対する私も本気でなければ失礼。
私も本気で関わります。
こういう地道な活動が大きな力を生むんです。
毎月1回、先生たちから手帳を提出してもらっています。
その手帳の添削。アカマルを入れ、コメントを入れます。
先生たちが本気なので、対する私も本気でなければ失礼。
私も本気で関わります。
こういう地道な活動が大きな力を生むんです。

一生懸命は美しい
今日は、岐阜の大学生フリーペーパーを作成している代表の方が事務所にやってきてくれました。
彼は、9月に教育実習に行っていたそうで、その感想も聞かせてもらいました。開口一番出てきたのが、
「先生は忙しい!」
感想で、「楽しかったです!」の言葉を期待していたのですが、ちょっと歯切れが悪かったですね。何か壁にでもぶち当たったかも知れません。しかし、彼はきっとそんな壁は乗り越えて、自分の夢をどんどん実現していくと思っています。
何かを成し遂げるために、一生懸命色んなことに挑戦している姿はいつ見ても美しいです。家庭教師の先生には、「何を言うかではない、誰が言うかだ!」とよく言っています。生徒が先生の生き方に憧れれば、生徒は先生についてきてくれます。
彼は、9月に教育実習に行っていたそうで、その感想も聞かせてもらいました。開口一番出てきたのが、
「先生は忙しい!」
感想で、「楽しかったです!」の言葉を期待していたのですが、ちょっと歯切れが悪かったですね。何か壁にでもぶち当たったかも知れません。しかし、彼はきっとそんな壁は乗り越えて、自分の夢をどんどん実現していくと思っています。
何かを成し遂げるために、一生懸命色んなことに挑戦している姿はいつ見ても美しいです。家庭教師の先生には、「何を言うかではない、誰が言うかだ!」とよく言っています。生徒が先生の生き方に憧れれば、生徒は先生についてきてくれます。
名大ゆかりの先生、ノーベル賞
ノーベル賞を日本人が4人も受賞しました。うち3人の方が、名古屋大学にゆかりのある方で、私自身もすごく嬉しく思っています。
おおきなこと、南部先生の言葉を借りれば、とてつもないことをやることを目標にして、できることからコツコツとやっていける人材を育てていきたいと強く思いました。
益川先生がTVに出演されているのを拝見しました。そこでの益川先生のお言葉。
益川先生
「雑音が多い方が良いアイデアが浮かぶ」
「目の前にある謎に淡々と取り組んだ」
「自分の関心事に執着して、取り付けるところから取り組んでいく」
「英語でスピーチをしろと言われたら、授賞式の出席を断る」
夢は大きく、やれることからやっていくという基本姿勢が印象的でした。南部先生は、「今の若い人は、困難に出くわすとすぐに逃げる」とおっしゃっていました。
すぐに逃げずに、何が自分にできるかを考えて、それを実践していく
この姿勢が大事なのだと改めて思いました。奇しくも、反逆のカリスマ格闘家魔裟斗も、「継続は力なり」とK-1 MAXの優勝インタビューで言っていました。
ノーベル化学賞を受賞された下川先生は、クラゲを85万匹もとったそうです。研究にかけるその執念に敬意を表します。また、ここにも取り付けるところから取り組んでいくという愚直な姿勢があるんだなぁと感じました。
岐大祭、テーマはあしあと

もうすぐ岐大祭です。今年は11月1日~4日のようです。テーマは、
「あしあと」
振り返ってみれば あしあとはいろんな形をしている 曲がりくねっても 小刻みになっても 今につながっている 始まりも行く先も違うけど ここに集まったあしあとが 次への大きな一歩をつくりだす |
これを見て、井上雄彦先生の「リアル」で野宮朋美が言っていた、
「
偉いすね目指すもんがあって・・・
俺は何を目指すのかすらまだ見つかってねーや。
でも、だからこそ
今を生きることにした。
お前が踏みにじってる今を。
今いる場所がつまんねぇ職場だろうと
俺の道であることに変わりはねぇ。
俺のゴールにどうやってつながるかはしらねぇが
いつかつながることだけは確かだ。
」
を不意に思い出しました。今やっていることは、必ず未来につながります。何をやりたいかは分からない、でもそれだけは確かだから、今を一生懸命生きよう。そんな言葉です。
さてさて、今年も学祭で飲んだくれたいと思います。あと1ヶ月、学祭の実行委員の皆様、準備頑張ってください。
義務教育って何だ?

所用がありまして、ドイツへ行っておりました。滞在先のひとつ"ニュルンベルク"にて、面白いものを見つけました。
第二十六条
教育を受ける権利
ニュルンベルクの城門をくぐってすぐ、ゲルマン民族博物館のとなり、「人権の道」と呼ばれるところにある一本の柱にこの二十六条は記されていました。
憲法第二十六条には、いわゆる「義務教育」のことについても書かれています。
<条文>
1.すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2.すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
1が権利の話で、2が義務の話です。親が子どもから、学校に行きたくないと言われて、よく、
「義務教育だから、学校に行きなさい!」
と言うことを耳にしますが、この答えは不正解です。子どもには教育の権利が与えられています。決して受ける義務ではありません。そして、保護者には教育を受けさせる義務が与えられています。教育を受けていないと、自由さえも剥奪されかねません(無知では考える能力もありません。そのため、奴隷の利用され、こき使われることもあります)。だから、人の大事な権利について、第二十六条は謳っています。それほど教育を受ける権利は重要なものです。そして、とても大切な教育を受ける権利を子どもが一時的な判断で手放さないようにするために、保護者がそれを受けさせる義務を負っています。ダブルチェックのようなものです。子どもたちが絶対的な不利益を被らないように、保護者は責任を持って教育を受けさせる義務を負っています。
「教育を受けさせなければならない」
このことについて、私たちはもう少し真剣に考えなくてはいけないのかも知れません。学校任せ、塾任せ、親任せ、というような誰か任せではなく、自分が自分たちの将来を支えてくれる子どもたちに何らかの教育を施すためにできることは何かを探す、または、実際に教育的行動をとる。これが、本当の意味での義務教育かも知れません。
制度・環境の整っていない国では、子どもが教育を受けたいと思っても、受けられません。教育を受けないと言うことは、社会で生きていくためには圧倒的に不利になるということを感じたことがありました。
NATOがアフガニスタンのタリバン政権に対してしかけた戦争直後、ジャーナリストがアフガニスタンに行き、現地に住むアフガニスタンの家庭を取材した内容が報道番組で放送されていました。取材を受けた家族の父は、レンガ造りを生業にしていました。来る日も来る日もレンガを作っています。レンガを作って、販売して、そのお金で生活をしていました。レンガを一人で作るのでは生活費をまかなえないので、子どもにもレンガ造りを手伝わせていました。ジャーナリストが尋ねます、
「お子さんを学校に行かせなくていいんですか?」
父親は、「学校に行かせてやりたいけど、その余裕がないんだ」と答えていました。ジャーナリストは、子どもにも尋ねました。子どもは、「学校に行きたいけど、仕方ない」と答えていました。そして、ジャーナリストが子どもから離れようとした時に、彼は、純粋なまなざしで次のようにTVに向かって言いました。
「みんな、レンガ造り大変だろうけど、頑張ろうね」
それを聞いた瞬間、教育の権利は必ず与える必要があると感じました。